[戻る]

東欧史研究会

2003/4/26
早稲田大学文学部

理想的身体の発見とギリシア・イメージ
―― チェコ社会における身体文化とナショナリズム ――

福田 宏


はじめに ―― 《マラトンの戦い》(前490年 → 1912年)

1. 「スラヴ的オリンピアーダ」の開幕
ギリシアの理想を我々が継承する!!
2. オリエンタリズム批判の系譜
E. サイード、M. Bernal の「黒いアテネ」[7]、S. Marchand による制度化の視点 [20]

1. 画家ダヴィッドの変遷 ―― ヤヌスとしての新古典主義

1. J. J. ヴィンケルマン(1717-1768)によるギリシアの「発見」
『ギリシア芸術模倣論』(1755年)と『古代芸術史』(1764年)
2. ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)の「歴史画」
モラルの再興として ―― アンシャン・レジーム
革命精神の発露として ―― 祭典の演出家
「皇帝の首席画家」として ―― ナポレオンの偉大さ
3. ルーヴル美術館の誕生
ローマ帝国の継承者として?
ナポレオンの収奪の旅 ―― ベルギー、イタリア、エジプト

2. ルソーからフィヒテへ。そして。。―― Nation、制度化、科学

1. J. J. ルソー(1712-1778)にとっての古典古代
2. J. G. フィヒテ(1762-1814)の「新しさ」とスタール夫人の『ドイツ論』(1813年)
3. ディレッタント(好事家)から専門家へ ―― 制度化の波(大学のポスト、博物館、研究所)
コスモポリタンな考古学通信院 (IfAK, Institut fur Archaologische Korrespondenz)
ドイツ考古学研究所への道 (DAI, Deutsches Archaologisches Institut)
考古学者 E. クルティウス(1814-1896)の演説《オリンピア》(1852年)
あの深い暗闇の中に埋もれているのは我々の生そのものである。別の神の使者がこの世に出で、オリンピアの休戦よりも偉大なる平和を説いていたとしても、オリンピアは、今日の我々にとって、依然として聖なる地であることには変わりはない。飛翔するオリンピアのインスピレーション、利他的なパトリオティズム、芸術への献身、生のすべてを超えていく喜びに満ちたエネルギー。純粋な光によって彩られたこれらのものを、我々はこの世において継承しなければならないのだ。(Marchand [20, pp.80-81] からの再引用)

3. 「文明」の逆輸入 ―― ギリシアにおけるオリュンポスへの回帰

1. ギリシア独立戦争の勃発(1821年)
「ヨーロッパ」に留学した若き「知識人」たち
秘密結社「フィリキ・エテリア」の設立(1814年)
バイロン(詩人 1788-1824)、ドラクロワ(画家 1798-1863)、「ギリシア協会」
麗しいギリシアよ! 過ぎ去った価値の悲しい遺物よ!
失われていながら不滅、没落していながら偉大なものよ!
今誰が散り散りになった汝の子らを導き
長年のくびきを解くだろうか
       (アーウィン [15, p.210] からの再引用)
2. ギリシアにおけるオリンピック復興運動
ドイツ系 ―― E. クルティウス、L. ロス(1806-1859)
ギリシア政府 ―― 産業博覧会との抱き合わせ → 1859年
ギリシア知識人 ―― 古代オリンピックそのものの復活 → 1870年、1875年

4. 「市民」への憧憬 ―― チェコ社会における美と身体

1. 美学者としてのティルシュ(Miroslav Tyrs, 1832-1884)
ソコルの創設者 ―― 理想的身体、理想的市民
『オリンピアの祭典』(1868年)
『体操の基礎』(1873年) ―― ドイツの「騎士的・中世的トゥルネン」との相違
      ギリシア的、近代的、科学的、体系的、そして深遠なのだ!
2. ドイツにおける古代五種競技と「アーリア化」
ウィーン第一体操協会における「世紀的スキャンダル」
ギリシア的五種競技とゲルマン的五種競技
      ・古典的 ―― 走り幅跳び、槍投げ、190m走、円盤投げ、レスリング
      ・ゲルマン的 ―― 高幅跳び、槍投げ(的)、200m走、ハンマー投げ、レスリング
3. 「体操=スポーツ論争」―― どちらがナショナルなのか?
エゴイズム、身体のアンバランス、不道徳、エリート主義的、ブルジョア的

おわりに ―― もう一つのオリンピック

1. 第5回ストックホルム・オリンピック(1912年) ―― 体操からスポーツへ
スペクタクル、コミュニケーション手段、ネイションの優劣
2. 大きなコンテクストの存在
文明、近代、市民、科学、進歩、文化、洗練 etc. etc.
チェコ人とドイツ人の「共犯関係」
小さなコンテクストは? ―― ネイションの問題
   フィヒテは何故ドイツ人に、ティルシュは何故チェコ人にならねばならなかったのか?
チェコ社会における「オリエンタリズム」への誘い

年表

BC776-AD393 古代オリンピア競技(全293回)
1506 ローマの黄金宮殿にて《ラオコーンの群像》が発見される
1755 J. J. ヴィンケルマン(1717-1768)の『ギリシア芸術模倣論』
1798.7 ナポレオンのエジプト遠征
1813 スタール夫人(1766-1817)の『ドイツ論』
1814 オデッサでギリシア人秘密結社「フィリキ・エテリア」結成
1821.3 ギリシア独立戦争勃発
1824 E. ドラクロワ(1798-1863)が《キオス島の虐殺》をサロンに出品
1829.4.21 ローマにて考古学通信院 (IfAK, Institut fur Archaologische Korrespondenz, Instituto di corrispondenza archeologica) 設立
1830.2.3 ロンドン議定書によるギリシア独立の国際的承認
1830 プロシア王立博物館の開館
1844 J. H. クラウゼ『ギリシアの体操と競技』[独語]の出版
1852.1.10 E. クルティウス(1814-1916)による有名な演説『オリンピア』
1859.10.18 アテネにて第一回オリンピア競技祭(第二回は1870年、第三回は1875年)
1868 M. ティルシュ(1832-1884)の『オリンピアの祭典』
1869 H. シュリーマン(1822-1891)が遺跡の発掘を決意。1876年には所謂「アガメムノンのマスク」を発見
1871 ドイツ考古学研究所(DAI)の設立(帝国機関に昇格したのは74年。ローマ・フランス学院は1873年、イタリア考古学院は1875年)
1875.10--1881 ドイツ政府主導によるオリンピア発掘(二回目は1936〜42年、三回目(西独)は1952〜60年)
1878.6.13--7.13 ベルリン会議
1880-1886 ペルガモンの発掘
1882 チェコ・ソコルによる第一回祭典 ―― 《スラヴ的オリンピアーダ》
1883.10.4 「オリエント急行」運行開始(パリからイスタンブールまで)
1886.6.28 ウィーン第一体操協会にて「アーリア的」古代五種競技が行われる
1889 アナトリア鉄道着工(1892年アンゴラ線、1896年コンヤ線開通)
1891.3.30 プラハの博物館 Narodni museum が新しい建物(ヴァーツラフ広場)にて開館
1898 ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世がオスマン帝国を訪問(二回目)
1898 ドイツ・オリエント協会(DOG, Deutsche Orient-Gesellschaft)の設立
1912.6.29--7.1 第6回スラヴ・ソコル祭典(プラハ)
1912.5.5--7.22 第5回ストックホルム・オリンピック


参考文献

[同時代文献]
  1. Jaroslav Ludvikovsky. Anticke myslenky v Tyrosove sokolskem a narodnim programu. [ティルシュのソコル綱領・ネイション綱領における古典思想]. Praha, 1923. No.6 of Tyrsuv sbornik.
  2. Pamatnik sletu slovanskeho sokolstva roku 1912 v Praze. [1912年プラハにおけるスラヴ・ソコル祭典記念論集]. Praha, 1919.
  3. Pamatnik IX. sletu vsesokolskeho. [第9回全ソコル祭典記念論集]. Praha, 1932.
  4. Miroslav Tyrs. Hod olympicky. [オリンピアの祭典]. Praha, 1868. Reprint in O sokolske idei (Praha, 1930), vol.1, pp.37-56.
  5. Miroslav Tyrs. Zakladove telocviku. [体操の基礎]. Praha, 1873.
  6. Miroslav Tyrs. O umeni. [芸術について]. Praha, 1932-1937. 6 Vols.

[二次文献]
  1. Martin Bernal. Black Athena: The Afroasiatic Roots of Classical Civilization, Vol. 1: The Fabrication of Ancient Greece 1785-1985. Rutgers University Press, New Brunswick, N.J., 1987.
  2. Philip Carabott, editor. Greek Society in the Making, 1863-1913: Realities, Symbols and Visions. Variorum, Aldershot, 1997.
  3. リチャード・クロッグ著, 高久暁訳. 『ギリシャ近現代史』(ケンブリッジ・コンサイス・ヒストリー・シリーズ1). 新評論, 1998.
  4. ロラン&フランソワ・エティエンヌ著, 青柳正規監修. 『古代ギリシア発掘史』(「知の再発見」双書46). 創元社, 1995.
  5. エルンスト・H.ゴンブリッチ著, 下村耕史, 後藤新治, 浦上雅司訳. 『芸術と進歩 ―― 進歩理念とその美術への影響』. 中央公論美術出版, 1991.
  6. Christoph Hauser. Anfange burgerlicher Organisation: Philhellenismus und Fruhliberalismus in Sudwestdeutschland. Vandenhoeck & Ruprecht, Gottingen, 1990.
  7. G.ハイエット, 柳沼重剛訳. 『西洋文学における古典の伝統』(上・下). 筑摩叢書(141-142), 1969.
  8. Radislav Hosek. “Drei Gestalten des tschechischen Philhellenismus: Tyrs --- Machar --- Stastny”. In Evangelos Konstantinou, editor, Die Rezeption der Antike und der Europaische Philhellenismus, Vol. 7 of Philhellenische Studien, pp. 93-119. Peter Lang, Frankfurt am Main, 1998.
  9. デーヴィッド・アーウィン著, 鈴木杜幾子訳. 『新古典主義』(岩波 世界の美術). 岩波書店, 2001.
  10. 岸野雄三, 成田十次郎, 山本徳郎, 稲垣正浩(編). 『体育・スポーツ人物思想史』. 不昧堂, 1979.
  11. M. クラウル著, 望田幸男他訳. 『ドイツ・ギムナジウム200年史 ―― エリート養成の社会史』. ミネルヴァ書房, 1986.
  12. Michael Kruger. “Die Antike Gymnastik und Athletik als Vorbild fur Turnen und Sport in Deutschland im 19. Jahrhundert”. Stadion: Internationale Zeitschrift fur Geschichte des Sportes, Vol. 21/22, pp. 86-99, 1995/96.
  13. ジョン・J.マカルーン, 柴田元幸・菅原克也訳. 『オリンピックと近代 ―― 評伝クーベルタン』. 平凡社, 1988.
  14. Suzanne L. Marchand. Down from Olympus: Archaeology and Philhellenism in Germany, 1750-1970. Princeton University Press, New Jersey, 1996.
  15. 森政稔. 「ナショナリズムと政治理論」. 山脇直司他(編), 『ネイションの軌跡』(ライブラリ相関社会科学7), pp. 306-355. 新世社, 2001.
  16. ジョージ・L.モッセ著, 佐藤卓己, 佐藤八寿子訳. 『大衆の国民化 ―― ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化』(パルマケイア叢書1). 柏書房, 1994.
  17. Claire E. Nolte. “Art in the Service of the Nation: Miroslav Tyrs as Art Historian and Critic”. Bohemia, Vol. 34, No. 1, pp. 47-62, 1993.
  18. Claire E. Nolte. The Sokol in the Czech Lands to 1914: Training for the Nation. Palgrave MacMillan, New York, 2002.
  19. ベラ・オリボバ著, 阿部生雄, 高橋幸一訳, 岸野雄三監修. 『古代のスポーツとゲーム』. ベースボール・マガジン社, 1986.
  20. Vera Olivova. “Die Grundung der Slawischen Olympishcen Spiele im Jahre 1882: Hellenistische Ideen im Tschechischen‘Sokol' ”. In Roland Renson, Manfred Lammer, James Riordan, and Dimitrios Chassiotis, editors, The Olympic Games through the Ages: Greek Antiquity and its Impact on Modern Sport, pp. 155-164. Hellenic Sports Research Institute, Athens, 1991. Proceedings of the 13th International HISPA Congress, Olympia/ Greece, May 22-28, 1989.
  21. 小田部胤久. 「ヘーゲル美学における芸術の終焉と新生」. 加藤尚武(編), 『ヘーゲルを学ぶ人のために』, pp. 226-242. 世界思想社, 2001.
  22. レオン・ポリアコフ著, アーリア主義研究会訳. 『アーリア神話 ―― ヨーロッパにおける人種主義と民族主義の源泉』(叢書ウニベルシタス158). 法政大学出版局, 1985.
  23. クシシトフ・ポミアン著, 吉田城, 吉田典子訳. 『コレクション ―― 趣味と好奇心の歴史人類学』. 平凡社, 1992.
  24. 真田久. 「近代オリンピック前史 ―― 近代ギリシャ人によるオリンピック復興」. 有賀郁敏他著. 『スポーツ』(近代ヨーロッパの探究8), pp. 245-277. ミネルヴァ書房, 2002.
  25. 杉原達. 『オリエントへの道 ―― ドイツ帝国主義の社会史』. 藤原書店, 1990.
  26. 鈴木杜幾子. 『画家ダヴィッド ―― 革命の表現者から皇帝の首席画家へ』. 晶文社, 1991.
  27. デイヴィッド・トレイル著, 周藤芳幸, 澤田典子, 北村陽子訳. 『シュリーマン ―― 黄金と偽りのトロイ』. 青木書店, 1999.
図1: 第6回ソコル祭典(1912年) ―― 男子徒手体操 出典: Pamatnik [2, n.p.].

図2: 第6回ソコル祭典(1912年)
《マラトンの戦い》における重装歩兵 出典: Pamatnik [2, p.168].

図3: 第6回ソコル祭典(1912年)
《マラトンの戦い》における人々 出典: Pamatnik [2, p.174].

図4: 第6回ソコル祭典(1912年)
スタディオンの南門 出典: Pamatnik [2, p.45].

図5: 第6回ソコル祭典(1912年)
《マラトンの戦い》における古代五種競技 出典: Pamatnik [2, pp.176-177].

図6: 第9回ソコル祭典(1932年) ―― 《ティルシュの夢》 出典: Pamatnik [3, pp.262-263].

図7: 第9回ソコル祭典(1932年) ―― 《ティルシュの夢》 出典: Pamatnik [3, p.LXXXII].

[省略] 図8: 《ソクラテスの死》
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1787年)
出典: アーウィン [15, p.152].

[省略] 図9: ラオコーン(前150年頃・ヴァティカン美術館)
出典: アーウィン [15, p.25].

[省略] 図10: 《ブルートゥスの邸に息子たちの遺骸を運び込む警士たち》
ジャック=ルイ・ダヴィッド(1789年)
出典: アーウィン [15, p.155].

[省略] 図11: オリンピアの発掘(1880年頃)
出典: Marchand [20, pp.88-89].

[省略] 図12: 大英博物館(1823-1847年建設)
出典: アーウィン [15, p.341].

[省略] 図13: 《キオス島の虐殺》
E. ドラクロワ(1824年)
出典: 柳亮『近代絵画史』 美術出版社, 1969年, p.17.


[戻る]