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はじめに


 2000年7月1日、2日の両日に渡り、チェコ共和国のプラハで第13回ソコル祭典(sokolsky slet)が行われた。ソコルは、1862年に創設された体操組織であり、チェコ人、あるいは「チェコスロヴァキア人」の「国民的団結」を促す団体として大きな役割を果たしてきたのであった。
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出典: X. Vsesokolsky slet v Praze 1938, Praha, 1939.
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 中でも、ミュンヘン会談の直前に行われた1938年の第十回ソコル祭典は圧巻であった(右の写真を参照)。ハイライトの一つとなった男性による徒手体操には三万名余りの会員が参加し、迫り来るナチス・ドイツに対抗するという意志が内外に示されたのである。

 この時代のソコルは、確かに「国民的」と言って良い存在であった。隣のドイツでは、40名に一人の割合でドイツ体操家連盟(Deutsche Turnerschaft)に加入していたのに対し、ソコルの場合には、「チェコスロヴァキア人」12名に一人がメンバーとなっていたほどである。また、作曲家のヤナーチェクがソコルのためにファンファーレを書き、画家のアルフォンス・ムハがポスターを書くなど、名だたる文化人がソコルに何らかの形で関わっていた。政治家のレベルにおいても、初代大統領であったマサリクを初めとして多くの重要人物がソコルに関わりを持っていた。例えば、1935年の時点においては、下院300名の内70名が、上院150名の内36名がソコル会員であったという。

 しかしながら、現在のソコルはどうであろうか。第二次大戦後の共産主義体制下において事実上禁止されていたソコルは、1989年の体制転換の後、すぐさま復活され、94年には第12回祭典、そして今年には13回祭典を開催している。だが、現在のソコルには戦前のような勢いはなく、若い人々のソコルに対する関心も低いというのが実状である。このエッセイでは、チェコでの現地調査を基にして、ソコルの実態について --- また、ソコル以外の問題についても --- 考えていくことにしたい。


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引用文献等